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Ezk.3 全人的な救い


(「教会の使命」エゼキエル書からのメッセージ第三回。本文は藤巻先生の著書「聖書は語る」より書き起こしています。)

エゼキエルは、語るべきメッセージを与えられたばかりではなく、神が「こうしなさい」と言われたならば、そうしているのです。たとえば、「瓦を持ってエルサレムの模型を作りなさい」と言われました。そこで、作りました。それはエルサレムの崩壊を人々に示すため、行動をもって証ししたのです。あるいは寝る時に「わき腹を下にして寝るように」と言われました。それにも彼は従いました。

私たちがクリスチャンとして生きていきますときに、同様なことが起こってきます。「こうしなさい。ああしなさい」。「何だ。そんなこと?」。自分でもそう思うでしょうし、周囲の人々もそう言うでしょう。「無駄なことはやめた方がいいよ」と言うかもしれません。時には、自分の願いとは反対の方向に導かれることがあるかも分かりません。貧乏くじばかり引いているように見えることが、あるかも分かりません。褒められて感謝されるならば分かりますが、叱られてばかりでは立つ瀬がありませんね。そのように理解できないこと、納得できないこともあるのです。

でも、神のみ言葉に従っていくならば…。自分が何をすべきか。何をすることが自分の使命なのか。自分の本分は何なのか。他の人にはできないが、自分にはできることは何なのか、ということが分かってくるのです。神の霊によって立たされたエゼキエルには、新しい心、柔らかい心が与えられました。石の心に変わって柔らかい心が与えられ、新しい人生と新しい使命に立っていったのです。

だから教会は、三位一体の神に出会って、表現はできませんがそのお方の幻を見て、学校でも病院でも解決できなかったことが解決できる場所なのです。魂が救われ、肉体が救われ、さらには精神が救われていくのです。すなわち、全人的な救いです。このような回復がエゼキエルにも起こったように、私たちにも起こってくるのです。

肉体が救われるということは、ある方にはわからないかもしれません。生きる望みを失っていた人でも、教会に来て生きる希望が与えられたとしますならば、肉体が死から救われたことになるのです。魂が救われて天国に行くようになるのです。

あるいは精神的に病んでしまう。夜眠れない。恐れを抱く。さまざまな恐怖を抱く。未来に対して暗黒である。今日もまた、どう生きていったらいいか分からない。ましてや明日のこと、明後日のこと、一年先のことはわかりません。お先真っ暗です…。しかし、そのような霊・肉・精神のすべてに解決が与えられて、立ち上がっていくこと。その三つの領域において、全き救いが与えられ、立ち上がっていくこと、この全人的な救いが教会の使命です。

(つづく)

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