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Joh.2-4 奇跡の世界へ


(「まことの光の到来」ヨハネの福音書からのメッセージ第四回。本文は藤巻先生の著書「極みまでの愛」序章に収録されているショートメッセージ三篇のうち、「ヨハネによる福音書の神学的構造」と題したセクションより書き起こしています。)

このような呼びかけに対して「あっそうだ!」と従っていきますときに、神は私たちの状況を変えてくださり、そこに質的な変化を与えてくださるのです。自分の人生は最も惨めだと思った人が、逆にそれが武器になって、そのことのゆえに祝福された人間になることができるのです。

そのような世界が ―本当に困ったことがあったから、それをきっかけにしてそこから新しい世界が― 開かれてくるのです。

例えば、イエス・キリストは水をぶどう酒に変えられました。「そんなことが…」と、私たちはいつも否定したく思いますが…。味のない、価値のない、放っておけば腐ってしまうような水を、永遠に変わることのない、いや、古くなればなるほど味も出てくる、価値のあるぶどう酒へと変えてくださるのです。

イエス・キリストは、このように質的変化をもたらして下さるお方です。ヨハネはこのようなことを、イエスさまの奇跡、出来事を通して私たちに訴えようとしているのです。生まれながら目の不自由な人の目が開かれる、すなわち、分かるようになるというのです。「あっそうだったのか」と。そして目が開かれ、別の世界が見えるようになるのです。

また、五つのパンと二匹の魚で、五千人以上の男たちを養われました。女性と子供を入れると、一万人以上にもなるでしょう。たった五つのパンと二匹の魚から、無限の糧を与えてくださったのです。

「そんな…」といいますが、私たちの周りにいるクリスチャンたちの生涯はそれを証ししています。マザー・テレサや長谷川保兄の生涯はそれでした。

自分は何も持っていないにもかかわらず、多くの人々を救済することが出来るようになったのです。そういう世界が、神の恵み、奇跡の世界です。三十八年間病気の床にいたのに、その人が癒されて人々の祝福の基となったのです。

三浦綾子さんは十七年、脊髄カリエスで寝たきりでした。彼女も、イエス・キリストを信じて、そこから救われたとき、そこからすばらしい小説が生まれてきたのです。私たちにイエス・キリストが介入されるとき、神の命、永遠の命が与えられてくるのです。

「すべての人を照らす真の光があって、世にきた」(一章九節)。真の光が世に来たならば、この世は命にあふれ、光にあふれ、喜びにあふれます。そのような質的変化が、私たちにもやってくるというのです。これはヨハネの招きの言葉です。今日もヨハネが、あなたに決断を迫っています。

( 了 )

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