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Joh.2-3 わたしは世の光である


(「まことの光の到来」ヨハネの福音書からのメッセージ第三回。本文は藤巻先生の著書「極みまでの愛」序章に収録されているショートメッセージ三篇のうち、「ヨハネによる福音書の神学的構造」と題したセクションより書き起こしています。)

結婚式が終わって、すぐ離婚するとか、自殺するとかいうことがあります。私たちは「そんなこと…」といいますが、そこに悲劇が起こるのです。やっと大学に合格し、やれやれと思っていたのに自殺したということもあります。

どうしたのでしょうか? 今までは、大学の入学試験に合格するという目的がありましたが、合格したならばその目標がなくなったというのです。本当に困ることがありますよね。

また、育児ノイローゼなどは、その最もたるものでしょうね。そんなはずあるわけないのに、そういう事が起こるのです。日本のことわざに「好事魔多し」というのがありますが、幸いな時にはサタン的な力が働きやすいものだというのです。このように、「すべてのことは暗黒である」というのがヨハネのメッセージです。

ヨハネは人生をそのようにみていると同時に、イエス・キリストは「すべての人を照らす真の光」だというのです。

それは偽りの光ではありません。本当の光、真実の光です。イエスさまは「わたしは世の光である。わたしに従ってくる者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」と言われました。

まさにイエスさまは「わたしは世の光である」と言って自己宣言されるお方なのです。あるいは「わたしは門である」。天国へのドアなのだと言われます。「わたしは道である」。「わたしは真理である」。「わたしは命である」。「わたしは命のパンである」。「わたしはよみがえりである」。「わたしは良い羊飼いである」。「わたしは真のぶどうの木である」等と自己宣言し、訴えかけておられます。

「この世」の暗黒にいる私たちに対して、「私こそ世の光である。私に従ってくるならば、闇のうちを歩くことはない」と約束しておられるのです。「わたしにつながっているならば、豊かに実を結ぶよ。私につながっていなければ何も実を結ぶことがないばかりか、切って捨てられるよ」と言って、私たちに決断を迫っているのです。

(つづく)

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