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Joh.2-2 その暗闇は常に人生につきまとう


(「まことの光の到来」ヨハネの福音書からのメッセージ第二回。本文は藤巻先生の著書「極みまでの愛」序章に収録されているショートメッセージ三篇のうち、「ヨハネによる福音書の神学的構造」と題したセクションより書き起こしています。)

また、人生にはさまざまな恐怖があります。自然の災害、すなわち、地震とか嵐とかに突然あうこともあります。あるいは「飢え」の問題もあるでしょう。仕事がない、食べる物がない、家族が多い…。そういう問題もありますし、またベテスダと言って「あわれみの家」という立派な名前がついている場所でしたが、実はその場所にさまざまな患いや病気を持った人々が、からだを横たえているという現実がありました。

当然ですが、病院には病気の人がいっぱいいます。元気な人が病院にいたらおかしいですよ。でも、その数がなんと多いことかと思います。時々、何か月も何年も入院しているという事を聞きます。ある方は十五年、ある方は二十年というんですよ。ときにはカリエスの人もありますし、腎臓病である場合もあります。その他さまざまな病気のゆえに、今日のように医学が進歩しましても、なおかつ病気で病むという現実があります。中には薬害のゆえに悩んでいる人もいます。このように、なぜ人生がこんなに暗いのか。なんで世界は闇なのかと言った場合には、このような問題があるからなのです。

私たちはそのようにさまざまな状況の中で、死に直面することがあります。それが、事故やけがであるかもしれません。自分の愛する子供が、死にかかっているという記事もあります。そういう問題の中に置かれますと、私たちは慌てますよね。愛する子供が死にかかっている、高熱でうなされている、あるいは重いけがで瀕死の状態にあるというとき…。でも、そのような暗黒は、人生の中に常につきまとっている問題なのです。

この福音書の最初の奇跡は、婚礼のときの話です。人生で一番すばらしいときはというと、「誕生」といっても、自分の誕生の時なんか分かる人なんかいないんですし、自分の死も分かる人はいませんから、一番華やかなのは結婚式だと言います。

この最も華やかなとき、その結婚式の最中にぶどう酒がなくなって困惑している姿が描かれています。他人はどういうかしれませんし、非常に困ったことです。なぜなくなってしまったのかよく分かりません。予想外の人々が集まったとか、ある人々はイエスさまの弟子たちが突然来たためであるとか色々いいますが、いずれにしても急にぶどう酒がなくなってしまったのです。非常に困ってしまいました。最も喜ばしい時にも関わらず、最も困ったことが起こったのです。

(つづく)

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