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Joh.2-1 この世界は暗黒である


(今回から、四回に渡り「まことの光の到来」と題し、ヨハネの福音書からのメッセージを連載いたします。本文は藤巻先生の著書「極みまでの愛」序章に収録されているショートメッセージ三篇のうち、「ヨハネによる福音書の神学的構造」と題したセクションより書き起こしています。)

「すべての人を照らすまことの光があって、世にきた」(一章九節)

「ヨハネによる福音書」を「第四福音書」と言ったりします。これはマタイ、マルコ、ルカとはちょっと違った書き方をしており、神の言葉であるロゴスが人間となって地上に現れたという観点から、イエス・キリストについて書いています。このようにヨハネは、他の著者たちとは違って、独特な考えをもっていたのです。

例えば、「この世というのは暗黒である」というような見方が、ヨハネによる福音書全体に見られるのです。「この世」は ―「人間」と言ってもいいのですが― よく「人生は闇だ」と言われたりします。

ある大学祭で真っ暗な部屋に入り、少し明るい所があるので何が書かれてあるのかと思ってみると、「人生は闇だ」と書いてあったという事です。

その次の部屋に入っていきましたら、靴がたくさんありまして、「人生は=靴(クツー)=苦痛だ」というのです。

その次の部屋に入っていきましたら、「人生は3 + 4=0」と書かれてあったというのです。3(お産・誕生) + 4(死)=0(むなしい)これに対しては中学生ばかりではなく、大人も反対します。0(ゼロ)では済まないのです。葬儀はどんなに安く見積もってもらっても、何十万かはかかるからです。

でもクリスチャンになりましたら、3 + 4=∞(永遠)となります。これは3と4の間に + (十字架)を置くからです。イエスさまを信じて死を迎えましたので、そこには永遠の命があるというのです。ヨハネはこの「永遠の命」という言葉をよく使います。それは神の命のことです。この世はなぜ暗黒かと言いますと、死がやってくるからです。

私たちには、だれでも死がやってきます。日本人は「四」という言葉を非常に嫌がりまして、「し」と言わないで「よん」というのです。しかし、ヨハネによる福音書の中には「弟ラザロが死んだ」とあります。だれかが死んだ。当然ですよ。でも、「弟が死んだ」のです。

そういう死のゆえに、人生は真っ暗だというのです。あるいは、生まれながら目が見えない人が出てきますが、それは人間が生まれながら何もわからないという事を表しているのです。何が何だか分からないのです。それは、単に目が見えないだけではなく、生まれながらにして本当の事が分からないのです。そのことをヨハネは言っているのです。

(つづく)

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