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Joh.1-2 愛の人


(「神の言葉であるキリスト」ヨハネの福音書からのメッセージ第二回。本文は藤巻先生の著書「極みまでの愛」序章に収録されているショートメッセージ三篇のうち、「著者とその証言」と題したセクションより書き起こしています。)

では、ヨハネは本当に変わらなかったのでしょうか。変わらなかったんですよ。激しい性格というのは、変わらなかったのですよ。「じゃあ、イエスさまを信じても最後まで変わらなかったのか」と言いますと、実は、このヨハネのことを人々は後にどのように言ったのでしょうか。

例えば、パウロの事を「信仰の人」と言いますね。ペテロは「希望の人」と言います。それに対してヨハネは「愛の人」というのです。ではなんでヨハネは変わっていないかと言いますと、いや、どこが変わったのかと言いますと、「愛の人になった」という意味において「変わった」のです。

でも彼の「気性の激しさ」という点では変わりませんでした。つまり、彼は激しく愛する「愛の人」となったのです。

伝説によりますと、彼の弟子のひとりが堕落して山賊になったそうです。それを知った彼は、自分の身の危険を顧みないで山に入っていき、その弟子を説得し、もう一度真人間に復帰させたというのです。ですからこのヨハネの事を「愛の使徒」と言い、最も愛を重んじた、最も愛の深い人であったと学者たちは言っています。特に「ヨハネの第一の手紙」を見ると分かるのですが、愛を強調し、愛に生きた人であったようです。ですから、変わらなかった面というのはその「激しさ」でしたが、その結果「激しく愛する」ようなヨハネになったというのです。

私たちはどんなあだ名がつけられているかもしれません。先日も菅野猛先生が「仮分数」と言われたということでしたが、「仮分数」というのは分母よりも分子の方が大きい場合に、仮分数というのです。頭の方が大きくて、脳みそがたくさんある人の事を「仮分数」というのです。良いあだ名ですね。優秀なあだ名ですよね。

このヨハネはそのように、イエス・キリストに出会ってすぐ変わったのではなくて、イエスさまと一緒に伝道していても、なお「だれが一番偉いのか」と、だれにも勝って「自分こそは」という思いがありました。そのような欠点はあり続けました。

彼は晩年になってもその激しさという点では変わりませんでしたが、変わったのは彼がその激しさを愛に向けて、激しく愛するような真に愛の人になっていったということです。ですから、私はヨハネがとても好きです。私たちもその途上においてはさまざまでしょうが、「最後は」というようになりたいものです。

今は途上ですものね。変化の途上です。変わりつつあり、最後は変わるのです。ですから、希望を持ちながら歩んでいきたいものです。

(つづく)

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