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Hab.8 ざくろを見よや


(「現状を変える信仰」ハバクク書からのメッセージ第八回。本文は藤巻先生の著書「聖書は語る」より書き起こしています。)

いつかも話したと思いますが、ある姉妹が救われました。彼女は先天性小児まひで、体が不自由です。信仰を持ったならば、体が自由になったのでしょうか。そうあってほしいのですが、体は不自由なままです。

でも、彼女は私に、「先生。私は自分が先天性小児まひで生まれて感謝です」と。「えっなぜですか」と聞きましたらば、「イエスさまの救いに与ることができたからです」と。

彼女は、そのように自分自身を受け入れました。その時に、他にハンディを持っている方々のためにボランティアとして奉仕する人間に変えられたのです。

人の役に立つことなんかできない、人のお世話なんかできるわけはないのですが、その人が誰かを助けるようになったのです。それは小さな証かもしれません。現実は変わっていないんですから。

星野富広さんの絵は、何とも言えない慰めを与えます。その中に「ざくろを見よや」という絵があります。彼は群馬大学の教育学部を出て、中学の体育の教師として鉄棒で失敗し、首の骨を骨折して、寝たっきりになりました。そしてイエスさまを信じたのですが、手足が動くようになったのでしょうか。

そんなことはありません。でも、口に絵筆をくわえて、字を書き、絵を描くようになりました。そして「ざくろを見よや」。

ざくろを見てどうなるんですか。ざくろは、ぱかっと口を開けて鳥や虫についばまれているでしょう。ざくろをご覧なさい。全存在を投げ出して、やられるままにやられている。ご存知のように、ざくろの種は鳥に食べられることによって、種が遠くにまかれ、ざくろの木が育つのだそうです。だから、「ざくろを見よや」といえるのです。

多くの病める人や悩む人々のために、慰めを与えることのできる人は、元気が良くて、立派で、賢くて、だれにでも役立つような人間ではありません。今病床にあり、口に筆をくわえて、「ざくろを見よや」と書く人によってしか慰められないのです。

現実は変わっていません。でも現実は変わるのです。変わっていないのですが、変わるのです。このイエス・キリストを信じますならば、人生に目的が与えられて、存在の意味が与えられるのです。どんな状態にある人であったとしてもです。

(つづく)

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