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Hab.6 神は答えて下さる


(「現状を変える信仰」ハバクク書からのメッセージ第六回。本文は藤巻先生の著書「聖書は語る」より書き起こしています。)

「どうして、ほかの宣教師は良い物をくれるのに、先生はこんなものばかりくれるんですか?」と聞きましたら、キルボルン先生は「宣教師について歩いて、良い物ばかりもらって、良いことばかりあると、信仰につまづく人がいる。だから、私はあなたには良い物はあげないんだ」と言われました。

ですから、わたしは非常に憤慨して「Kilboroun, you are no good!」と、彼が帰国した時に手紙を書いたことがあります。

それから何十年かしてみますと、「あの経験が何と貴い経験であったことか」と感謝するのであります。一見無駄な時間を費やしたように見えますが、現在それが神の祝福となっているのです。通訳をする前には中華学校に行っていましたが、実はそこに行っていたことにより、十三年間の東京華僑基督教会での奉仕の道が開かれ、多額の謝礼を頂きました。それが、その後の勉強に大きく役立つことになるのです。(他でもバイトはしましたが…。)

私は十九歳のときに中華中学の一年生になって、二十一歳で中学を卒業しました。バカじゃないかと思われるような、あまり賢い方法ではなかったでしょうが、その時の経験が、それから四年後に花咲くことになるのでした。だれがそんなことの起こるのを予想できたでしょうか。「神さまはいつか」という思いはありましたが。でも、そんな形でということは考えもしませんでした。

ですから、この聖書のみ言葉は、神に属する者、神を信じる者は徹頭徹尾、神を信頼して生きていくのだというみ言葉なのです。信じ通していくのです。

理解できない。どうなのか分からない。なぜなのか分からない。けれども、信じ従っていくんだ。神の最善を信じていくんだ。現実は最善には見えず、信じられないのです。本当に惨めです。

私の後でキルボルン先生の通訳をした方は、青山学院大の英文科を出ておられましたので、宣教師たちから「あなたはアメリカに留学させてあげる」と言われて、その通り奨学金をもらってアズベリーに行って帰られました。私には、そんなチャンスはありませんでした。私はひがんで、劣等感の塊になっていた時もなかったわけではありません。

このように、皆さんがたも不満があったならばハバククのように叫んでみるのです。「神さま、何ゆえですか。どうしてですか!」と叫ぶのです。神は答えて下さるでしょう。その答えは自分にとって納得できないものかもしれません。でも、神は答えて下さるのです。私には、答えて下さいました。

(つづく)

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