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Hab.5 まっ黄色のネクタイ


(「現状を変える信仰」ハバクク書からのメッセージ第五回。本文は藤巻先生の著書「聖書は語る」より書き起こしています。)

私の家内の実家は、かつては材木商を営んでいましたが倒産しました。両親は熱心なクリスチャンでして、アライアンス教団のために自分の家を解放し、神学校が出来るまで宿舎として提供していました。でも倒産したのです。しかも、兄はいろいろな問題で悩み、自殺してしまいました。

家内も、大学の奨学金受給の資格を得ながらも働かなければなりませんでした。少し働いたのですが気管支炎を患い、休みがちになっていました。クリスチャンの家庭、自分もクリスチャンであったけれども、現実はそういう現実でした。

こういうことは、いくらでもありますね。I 姉の生涯もまた同じであったのかもしれません。クリスチャンになる前に、ご主人を四十四歳で亡くされて、また三人のお子さんたちに先立たれたのでした。あるいは、よく話すことですが、井土ヶ谷教会のS兄も、本来ならばこの世的にも祝福されてしかるべきでありますが、ご長男に先立たれるというような事がございました。どれ一つ考えましても、神を信頼し続けるなんてできない状況でした。

私たちは長いスパンで信仰生活を見る習慣がありませんので、目先のことを近視眼的にしか見ることが出来ません。「こんな不幸が、こんな災がある! こんなことが!」と、すぐ自分で判断するし、他人をもまた判断するのです。

神が災の中から善を作り出すのか、聖書にはそうある。ヨセフはこう言っている。ヨセフは兄弟に対して、「あなたがたはわたしに対して悪をたくらんだが、神はそれを良きに変わらせて、今日のように多くの民の命を救おうと計らわれました」と言いました。

それは聖書には書かれてはいますが、私の生涯にはそれは本当ではないと、そう思ってしまうのです。ハバククではありませんが、何回となく「神さま、どうしてですか?」と問わざるを得ないことがあることでしょう。

キルボルン先生が、私を通訳として使ってくださいました。当時、金、土、日と行きますと千円頂きました。集会がないときには何も頂けません。三年位しますとほとほといやになりまして、あるとき聞きました。「先生、どうして私を使うんですか?」と言いますと、「おまえが一番安いからだ」と言われました。

当時の事ですから、宣教師から何かもらえるかと思っていましたら…。確かにもらいました。大きな靴です。それを履いて家庭集会に行きましたら、玄関でK姉が「だれ、このバカでかい靴を履いているのは!」と、私たちが部屋で祈っている最中に言われまして、恥ずかしい思いをしたことがあります。

また、まっ黄色のネクタイ。それをしていきましたら、みんなが振り返って見るのです。私には合わないんです。

(つづく)

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