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Gen.2 疑いの心


(創世記十二章一~三節からのメッセージ「アブラハム、イサク、ヤコブの神」第二回。本文は、2017年4月30日 日本ホーリネス教団 津久井みのり教会においてのメッセージの音源から書き起こしています。)

皆さん方もそういう経験ありませんか。私もですね、私の本は私が死んだ後、高値で売れるようになると自分で確信していたのですけれども、だったら献堂式のお祝いに一番高い本を下さいよ、と言われましたので、50冊あげましょう、と言いましたら、もっと欲しいと言われまして、70冊ですか。いや、できれば100冊欲しい、と言われ、あぁそうですか差し上げますよ、とあげっちゃったのです。でも、もし、本当に高値になるということを信じていたならば、あげなかったのじゃないかなと思うのです。

やっぱり疑いの心はあるのですね。アブラハムもサラも、あなたの子孫を天の星のように、浜の砂子のように多くして下さると言われ、それを信じたのだけれど、ちっとも子供が出来ないものだから、サラは僕(しもべ)の女ハガルをとおしてイシマエルを与えられます。ところがその後、神さまはアブラハムとサラに、約束どおりイサクを与えられました。そうしますと、妻のサラは、ハガルの態度が急に大きくなったように感じて、それ故にハガルをいじめたのですね。そして、更に後には、「あんた、ハガルとイシマエルを家から追いだして下さい!」とこう言ったのです。

アブラハムも奥さんには弱かったようで、仕方なく水筒1個を与え、ロバに乗せて暑い砂漠の中へと追い出したのです。

死ぬのを見るのは忍びないといって、ハガルはちょっと離れたところにいました。しばらくして、我が子が泣いている、といっても、その声を聞かないように離れていました。でも、神さまはその子供の声を聞いてハガルに泉を示して下さり、親子は水を飲むことができました。神さまは、アブラハムも祝福して下さったが、僕ハガルとその子供も祝福して下さいました。また、イサクも祝福して下さいました。

神さまがイサクを捧げよ、とこう言った時に、アブラハムはイサクを捧げました。でも、神さまは羊を用意して下さっていて ―その羊というのは、イエス・キリストを予表しているんですが― イサクの代わりにアブラハムは小羊を殺して神さまの前に犠牲を捧げました。

このように、アブラハム夫妻は、神さまの約束を完全には信じていませんでした。でも、ロマ書四章二十一節を見ますと、彼らは全く疑っていないと書かれていますね。子供が与えられると「確信した」とあります。聖(きよ)いのは神さまです。神さまが全きお方であり、完全なお方なのです。そして、アブラハムが、あるいはサラが不信仰になった時にも、それでも、彼らを全き者として見て下さったと言う事なのです。

(つづく)

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