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Gen.1 天の星のように、浜の砂子のように


(今回から、創世記十二章一~三節より「アブラハム、イサク、ヤコブの神」というテーマで、全六回のメッセージを連載いたします。本文は、2017年4月30日 日本ホーリネス教団 津久井みのり教会においてのメッセージ音源から書き起こしています。テープ起こしに関し、津久井みのり教会 阿部信夫先生の多大なご協力がございました事を、この場を借りて深く感謝申し上げます。)

今朝は、「アブラハム、イサク、ヤコブの神」というテーマで、創世記十二章一~三節からメッセージをしたいと思います。

「わたしが示す地に行ったならば、あなたを祝福する者をわたしは祝福する」と神さまは言われました。また、「あなたをのろう者がいたらば、わたしはその人をのろってやる」とも言っておられます。

まあ何という力強い、アブラハムに対する絶対的な神さまの保護、守り、愛情を示していますでしょうか。そればかりでなく、神さまはアブラハムに対して、「あなたに子供を授け、子孫を与える。それは天の星のように、浜の砂子のようになるだろう」と言われました。皆さんも星を数えてみたことがあるかと思いますが、数えることなんてできませんよね。そんなにも多くの祝福をあなたに与えるのだ、と神さまは言われたのです。

十四章にも十五章にもそのことは書かれています。十五章一節には、「わたしはあなたの楯となる」とあります。楯というのは、英語ではシールドと言いますが、剣や矢やどんな武器をもってしても、それらを楯で防ぐことができるわけです。「わたしはあなたを絶対に守ってあげるよ」と、こう言って下さるのですね。

聖書のホーリネスというのは、神さまがそういう、「全きお方」だということを言っています。このホーリネスの「ホール」というのは、語源的に申しますと「全き」という意味、全体という意味からきています。そしてまた、「癒される」という意味でもあります。「全き者とするんだ」と神さまは言って下さっているのですね。

神さまは、アブラハムと妻サラには子供が与えられると言われたのですが、果たして彼らは信じたのでしょうか?

信じたのですね。聖書では、それを「アブラハムが義と認められた」と言っています。ところが、絶対的な確信を持っていたかと申しますと、どうだったでしょうか。

でも、ちっとも子どもが産まれない。神さまは子供を下さると言ったのだけれど、アブラハムはもう八十六歳。妻のサラも七十半ば。どうして、子供なんか与えられようか、という疑いが起こったというのですね。

(つづく)

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