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Ann.4 迷子の人間たち


(マタイ福音書二十一章 一~十一節からのメッセージ「主イエスは誰か」第四回。本文は、2017年4月9日 日本ホーリネス教団 井土ヶ谷キリスト教会 創立47周年記念礼拝においてのメッセージ音源から書き起こしています。)

でも、イエスさまを信じました。イエスさまを信じて新しい人生を歩み始めました。イエス・キリストさまを信じますと新しい人生が始まってきます。それで、少ししか出来ませんけれども、神と人に仕えていく事が出来るようになっていきます。先ほど信徒ご夫妻の証しにありましたが、大きな横浜の教会から遣わされて小さな教会へ、北海道、九州、岡山、あちらこちらに行って助けたように。そういうように、新しい人間は神と人に仕えていくことが出来るようになっていくのです。

皆さん方もそうでしょう。もちろん、誰もかれもが同じことをしようと言っているわけではありません。でも、誰もかれもが違った未来、開かれた未来。神と人とに仕えるような未来が開かれていくのです。

これが、イエス・キリストさまなんです。聖書の中に、マタイはイエスさまに従っていったとあります。あの税金をごまかしてちょろまかしていたマタイが全世界を祝福するような人間になっていったのです。マルコは臆病で伝道の途中で逃げ出すような人間だったんですけれど、最終的に、最後までイエスさまに従って行きました。ルカは、人間はみんな失った人間、迷子の人間なんだと言いました。

皆さん迷子になったことがありますか。迷子になって喜んだこと、あります? 「ああ、お母さんから逃れて助かったんだ」と、そう思いますか? 「お母さん、お母さんどこ行ったの?」って思いますよね。今だったら係の人がいるからすぐ探して、アナウンスしてくれるかもしれませんけれども。

人間らしさを失っていた、迷子の人間たちをイエスさまは見つけて下さり、元の持ち主の元へと連れてきて下さる、そういうお方です。

ヨハネは何と言ったかといいますと、人間は本来、味も何もない無価値なものなんだけれども、イエス・キリストさまが水をぶどう酒に変えられたように、私たちを味のある、高価でおいしいぶどう酒に変えて下さる、と。これが、イエス・キリストさまの為して下さる業なんです。そう聖書は語っています。

嘘だと思ったら、まず信じてみてください。私はいつも言うんです。「バカになって信じるんだよ」と。でもなんだか誤解をしてしまって、ただ「バカになれ」って言ったように聞こえちゃうらしいんですけれどもね。そうじゃないです。

バカになったかのように、そう信じてごらんなさい。そうしたら、あなたの明日は変わりますよ。

(つづく)

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