top of page

Eps.2 今日のキミはきれいだよ


(エペソ人への手紙からのメッセージ第二回。本文はコラム「希望の門」より書き起こしています。)

先日私の教会で、あるご婦人がこう言っているのを聞きました。聞こえてしまったんですが…。「昨晩ね、主人が私のことを『きれいだ』って言ってくれたのよ」。私はその方を見つめました。ごく普通の方に私には思えたんです。しかし「きれいだと言われた」と言っていました。

旦那さんは本当にきれいだと思ったのかもしれませんが、もしそうであっても、毎日見ているんだから改めて言うほどのこともない。でもその旦那さんは、奥さんに「きれいだよ」といった。ここには、「ただそう感じたから言った」以上のものがあります。それではなにがあるか。そこには旦那さんの意志による認定、あるいは決断があるのでございます。

みなさんの中にはお子さんのおられる方もいらっしゃいますね。あなたはお子さんに、いつもなんと言っていますか。「この、ろくでなし」と言っていますか。それじゃあますますろくでなしになります。賢い人はこう言います。「おまえはいい子だなあ」。

仮に現状がそうは言えない、むしろその反対のような状況でも、一人ひとりの子供がそれぞれに違う、すばらしい個性を神さまからいただいていることを信じて、あなたがそう、子供に宣言するのでございます。

子供に対するばかりではない、人に関わるときはいつも、話をする相手の肯定的な面をあなたが認定し、あなたが判断するのです。そしてそれを、あなたが言ってあげるのです。例えば「きみの作る料理はおいしいね」と奥さんをほめてごらんなさい。喜んで、もっとおいしい料理を作るでしょう。逆に「なんだ、こんなまずいもの」と言えば、全然料理なんて作らなくなって、てんやものばかりになってしまいますよね。きっと。

同じように私たち人間に、神さまはいつも声をかけて下さいます。「私なんかだめだ」と私たちが言うのに対して、「そうじゃない。あなたは聖く、無傷なんだ」と言って下さるんですね。これは恵みというほかない事です。本当は自分なんか、汚れていて醜い者であるのに、神さまは、私たち一人ひとりを「あなたは聖く、傷のないものである」と認定し、そのような判決を下して下さるのでございます。

(つづく)

bottom of page