top of page

Rom.3 家族がなかなか信仰を持てません


(ローマ人への手紙からのメッセージ第3回。本文はコラム「希望の門」より書き起こしています。)

九章、十章、十一章は、少しこの考え方を変えまして、それでは今、どうしてユダヤ人が救われていないのかというような、歴史の問題に話題が転じています。クリスチャンの方で、自分の子供が信仰を持てない、自分の親が信仰を持てない、どうしてだろうか、と悩んでおられる方もいらっしゃるのではありませんか。

実は、私の両親もなかなか信仰を持ちませんでした。それでもその両親というのが幸せな生活を送っていればそれほど心痛むことはなかったのですが、母親は目の周りにくまを作って、毎日父親のことをぶつぶつ言っているし、父親は父親で、そのぶつぶつ言っている母親と一緒に生きていかなければならないことを嘆いているし、お世辞にも幸せな生活を営んでいるとは言えませんでした。

ある時、たまりかねた私は母に「『女は三界に家なし』どういう意味かわかりますか。幼くしては父母に従い、嫁いでは夫に従い、老いては子に従うということです。だからお母さん、教会に来なさい」と言いました。

息子への義理立てだったのかもしれませんが、とにかく、母は教会に顔を出しました。しかしいったん教会に来てみるとみんな歓迎してくれたので、母は非常に喜んで自分から通うようになり、ついには洗礼を受けました。それから彼女は変わっていったのです。

教会に通うようになった母は、昔の若い時のような優しい母になりました。この変化によって一番喜んだのが父親で、彼もそのようなことがあったために、後になって信仰を持つことが出来たのです。

病気になって死にかかっているときに、父親は信仰を持ちました。その時彼の病状は相当悪かったのですが、それにも関わらず彼は助かって、それから十年間、神さまと共に人生を歩みました。私も世話をさせていただくことで、少しでも父親に恩を返すことができました。

(つづく)

bottom of page