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Rom.2 みかん泥棒は誰だ


(ローマ人への手紙からのメッセージ第2回。本文はコラム「希望の門」より書き起こしています。)

戦争中に私は疎開しておりましたが、当時飢えに耐えかねて、ちょくちょく隣近所の食べ物を盗んでおりました。ある時何人かとみかん畑に行きまして、ミカンをたらふく食べて帰ってきたところ、小学校の先生が「みかん泥棒に行った者は申し出ろ」というのです。

「だれかが告げ口したな」と思いました。一緒に行った仲間はなんとかごまかそうとしています。私もそうしようと思っていたのですが、先生が「自分が悪かったと言ってきたものは赦してやる」といったものですから、私は出ていって「私がやったんです」と先生に言いました。

みんなは私が絶対叱られると思っていたのですけれども、先生は約束通り私を赦してくださいました。そしてその代わりというのもなんですが、ごまかそうとした友達は怒られて、廊下に正座させられたのです。どうして友達がごまかしきれなかったかというと、みかん泥棒に行った人はみんな、みかんを皮ごとたべたものですから口の周りが黄色くなっていたからだったのですが、私たちは子供だからそんなことはわからない。先生だけがよく分かっていたというわけです。

この話と福音はよく似ています。罪を告白する者、イエス・キリストさまを信じる者は罪が赦されます。私は赦されたから、安心して寝ることができました。同じ罪を犯しても、ごまかそうとして黙っていた友達は夜通し、廊下に正座していなければならなくなったのです。

五章から六章、七章、八章におきましては、救われた者は罪人なのだけれども、赦されている者であるから、そこには希望があり、勝利があると書かれております。勝利は、私たち人間の成し遂げたことではありません。それは神さまの、イエス・キリストさまを通して成された勝利であり、私たちの希望はその勝利にあずかることによって確かなものにされたのです。

(つづく)

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