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Mar.1 人は生まれながらにして


(続きましてマルコの福音書からのメッセージを、4回に渡り連載いたします。同様に、本文はコラム「希望の門」より書き起こしています。)

今回は、新約聖書の二つ目の書物であります、マルコの福音書からお話をさせていただきます。

マルコの福音書は一般に、『悪霊の束縛から解放する主イエス』というテーマで書かれていると言われています。一六章一七節に「信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたし(イエス)の名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り・・・」と、記されています。

現代人であるみなさんには「悪霊」と言っても、あまりピンとこないかもしれません。けれどもどうでしょうか。みなさんもこの世界が、なにか悪魔的なものに支配されている、いや世界だけではない、あなたの家庭、あなたの心の中に、なにか善くないものが支配している、と思ったことはありませんか。

たとえば、悪口を言いたくない、でも言ってしまう。賭け事なんかしちゃいけない、わかっていてもしてしまう。酒やたばこを飲んだら体に悪い、と思ってもついつい飲みすぎてしまう。

悪霊の束縛のなかで、もっとも悲劇的なものは、マルコの福音書五章に出てくるゲラサ人の狂人のような人でございます。

なんとみじめなことではありませんか。石を拾い上げて、それで自分の体を打ちたたいているとは。なんという愚かなことではありませんか。しかしマルコは、実はこれが罪深い人間の姿、悪霊の束縛下にある人間の姿だと言っているのです。人間は、生まれながらにしてだれでもこのように、自らの墓穴を掘るような、愚かなことをしていると言っているのでございます。

このゲラサ人の狂人が、墓場に住んでいて、朝夕となく叫んで、人々に恐怖心を与えているというのでございます。こんな悲劇的なことが、どこにあるのでございましょう。そればかりではございません。マルコは同じ個所におきまして、一二年間長血を患っている女のことも書いてございます。長血とは、血が流れて止まらず、そして最後には死んでしまう病気です。そのすぐあとには、ヤイロのかわいい娘が死んでしまったことが書かれているのでございます。

このようにマルコの福音書には、肉体的な、あるいは精神的な、さまざまな病に取りつかれているたくさんの人々のことが書かれているのでございます。

本当にまあ、どうしてこんなにも人間がみじめかと申しますと、人間は、生まれながらにして受けている悪循環、いわば悪魔的な支配を、自分の力では断ち切ることができないからなのです。

ところがマルコの福音書では、そんなどうにもならない不自由な人間の状況下に、イエス・キリストさまが来ることによって、事態に変化が生じたことが語られているのでございます。

(つづく)

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