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Ezk.7 全世界に


(「教会の使命」エゼキエル書からのメッセージ第七回。本文は藤巻先生の著書「聖書は語る」より書き起こしています。)

世界に向かって教会の生きた水、生かす水、実を結ばせる水が流れて行くのです。それが家庭であれ職場であれ、どんな職域であったとしても、それが流れ出て行く所、それは人々を生かし、人々に実を結ばせていくのです。

この「生ける水」というのは、聖霊のことを指しています。ヨハネによる福音書七章三十七節から三十九節を見ましょう。「祭りの終わりの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、『だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう』これは、イエスを信じる人々が受けようとしている御霊をさして言われたのである」。

教会の中に聖霊が現臨していて下さいます。そして、信じる者には「その腹から生ける水が川となって流れ出る」のです。エゼキエルが預言した預言は現実となって、さまざまな領域において実を結ばせていくのであります。ある者はこの領域において、ある者はあの領域において、ある者はこのような賜物を用いて、ある者はあのような賜物を通し、実を結ばせていくのです。

以前N姉は、お花を教えておられました。教会に来ておられる方々、その中にはまだイエスさまを信じていない人もいましたが、彼女はそれを通して福音を証したのです。伝道は簡単にはできないでしょうが、そこに来ておられる方々の中から、導かれる人々が起こりました。N姉はすでにこの世にはおられませんが、彼女の感化を受けた人々は、今も残っています。そのように、さまざまなことを通して福音は伝えられていくのです。

一人の少女が学校に行かなくなりました。それは、親にとっても深刻な悩みでした。いろいろな本を読み、あるいはカウンセリングも受けました。いろいろな相談もしましたが、なかなかうまくいきませんでした。でも、教会員のカウンセリングを受けさせて頂くようになり、一年半ぐらいはかかりましたが学校に復学することができるようになりました。その結果、両親も兄弟も信仰を持つことができました。

そこで止まっていないで、その少女の母親は音楽の指揮ができましたので、コーラスを指揮するようになりました。それを聞いて、信仰に復帰した人もいます。そして、その人もまた、他の人のために奉仕をするようになったのです。

そのようなことを考えていきますならば、聖霊はひとりびとりにビジョンを与え、それを実現させて下さったのであります。その恵みは、その人だけに止まらず、その教会だけに止まらず、その国だけに止まらず、全世界に展開していくのです。

このように、その行く所、行く所で、「ものみな生かす」という業が教会の使命なのです。私たちはこの本分を果たしていきますときに、充足感が与えられます。さらにそれは展開し、拡大していくのです。私たちは十分なことはできないかもしれませんが、神はそれを十倍二十倍に変えて下さり、展開させて下さるのです。

なかなかきれい事のようにはいかないでしょうが、皆さん方の中からそのような方々が出てくることを願ってやみません。そのことを通して、自分の存在意義があったことが分かるのです。この教会がなかったならば、そのような事は起こらなかったのです。この教会を通してでなければ、救われなかったであろう方々がいるのです。なおかつ、それらの方々が神に用いられていくとしますならば、そこには意味があったのであり、また、今後もあり続けるのであります。

( 了 )

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